タイムワープ安土桃山から江戸時代

18:59:00

実は江戸時代の前まで
結婚は身分関係なく自由だった



タイムワープシリーズ第3弾、今回は安土桃山時代から江戸時代まで、ちょっと詳しくのぞいてみましょう!

織田信長が天下統一の道筋を付け、その後を引き継いだ豊臣秀吉が関白太政大臣の地位を得て、事実上の天下人となったのが安土桃山時代です。

その豊臣秀吉の没後、天下分け目の関ヶ原の戦いを制した徳川家康が江戸に幕府を開いた江戸時代です。

このころが武家全盛の時代と言えるでしょう。支配階級となった武士の結婚をまず見てみます

安土桃山時代
当時、有力な武家の婚礼は盛大に行われました。婚礼に関わる儀式は室町幕府の礼法、ならわしを継承し、大きな違いはありません。新婦側から新郎側へ太刀や鎧、馬が贈られるなど、戦国の世ならではのしきたりが随所に見られるものだったようです。

この馬を送ることが引きもの、今の引き出物のもとになったということです。
やはり吉日を選んで嫁入りが行われます。、嫁入り前に嫁迎えの儀がありました。

これには、婿側から選ばれた2人が騎馬で先方に迎えの口上を述べに行きます。このとき、嫁側では引出物に服巻(鎧)一領、太刀一振、馬一疋が贈れたそうです。

花嫁が家を出るに先だって、父母に三々九度の盃があります、出門のときには門火を焚いて送り出しまた。

花嫁行列式は、末の役人まで輿に乗って出発しまた。婿方の家では門火を焚いて到着を待ちました。嫁は門から入り、座敷に輿を入れると、女房は輿をかついで、二の間、三の間まで担ぎ入れて輿寄せの儀式を行いました。

嫁が輿から出ると、婿方の待女房、中臈(女官)が脂燭に点火して迎えて祝言の座敷へと導びきます。さていよいよ夫婦の盃である「式三献」が始まります。

二日目も三日目も同じように式三献を行います。盃は二日目は婿から始められ、三日目には   「色直し」といって、白装束を脱ぎ、色物に衣裳に着替える。そしてこのあとに、婿方の一家で、初めての挨拶が行われるというものです。

でもこれは武家の婚儀で、一般は、農民と足軽の結婚や、商家と農民の結婚と結構自由だったようです。

江戸時代
長幼の序列や、士農工商の身分制度の確立などに力が注がれました。質素倹約も励行されたため、豪華な結婚の儀式は影をひそめます。

また、仲人を立てることが一般的になり、これを職とする人も現れたようです。
結納も現在のような形で行われ、結納品のやりとりも始められました。

この頃から、新郎の衣裳に裃(かみしも)が用いられ始めます。
三々九度の杯は従来新婦が先だったのですが、この時代から新郎が先に口をつけるようになったとされています。

幕府の将軍の正室は「御台所(みだいどころ)」と呼ばれました。三代将軍徳川家光の代にはあのドラマでも有名な「大奥」が整備され、将軍はかなりの数に及ぶ側室を持つようになります。

大奥の女性たちは、懐妊して女子を出産すれば「お腹様(おはらさま)」、
男子を出産すれば「お部屋様(おへやさま)」と呼ばれていました。

江戸時代の武家・民間の婚礼をちょっと見てみましょう。

武家・民間の婚礼をみてみると、初めに仲人の斡旋で「見合」が行われる。仲人が斡旋して双方に異議がなければ、吉日を占って婿方から嫁方の家族と雇人へ、結納品が目録を添えて贈られました。

この結納は「たのみ」あるいは「言納(いいいれ)」といったのを「結納」としたものといわれてます。

婿側の使者は、最初は家老などの役で、裃(かみしも)姿で下僕を伴って行きました。嫁方はその使を食事でもてなし、引出物を贈りました。

 婚礼は吉日を選び夜間に行われました。婿方は祝言の床の間に白絹を敷き、同じ生地の水引をかけ、奈良蓬莱、二重台、手掛台、置鳥、置鯉、三盃、銚子、提子を飾り、他の居間、寝所にも飾付けを行ないました。

 いよいよ嫁の門出となると、嫁方は兄弟家臣等が従い、嫁は輿あるいは乗物で出発しまた。

花嫁行列に荷物の列が従いました。荷物には、三棚、文房具、化粧道具、茶、花、香道具、料理道具、裁縫道具、坐臥具、火鉢、茶道具などの家具、および被服などで、箪笥、長持、釣台にのせて運ばれました。

嫁の乗物には犬張子、守刀などが入れられました。一方婿方は門前に門火を焚いて待ち、門の中では出入りの男女が餅をつきました。

餅つきは男女の交わりを意味するものとされてました。

さて嫁方から二人の貝桶持ちがまず貝桶を渡し、このあと嫁は輿ごとかつぎ入れられます。

祝言の間に嫁が通ると、いよいよ婚礼式となります。嫁は先に着坐し、次に婿が座ります。

そして式三献となります。三々九度の盃は古くは嫁が先であります。

この時代から婿が先となりました。また盃の前に肴が出ます。

次に色直しとなって、婿から嫁へ色直しの衣裳を贈ります。

嫁は白装束を脱いで色のある衣裳と着替えます。
婿も嫁方より贈られた、直垂、大紋、素襖あるいはは長裃から裃半袴となり饗 膳となります。

メニューは初めに雑煮が出て酒も燗酒、塗盃で宴を行い,十二組の菓子が出ます。この宴会でもやはり、夫婦が中心で両家の親族は加わらなかったといいます。

これはお武家さん、庶民はというとあの有名な「高砂や~」ではじまる祝言を長屋やなんかで落語で聞いた感じでおこなわれました。

長屋や家で行う身内と仲人だけの簡素な祝いの席がもうけられました。
新婚生活の初日の夜9時頃から行われていました。

武家は結婚と同時に嫁ぎ先で暮らす「嫁入り婚」なのに対し、一般庶民は婿が妻の実家でしばらく生活する「婿入り婚」が大多数でした。

夫の家に嫁入りするのは、姑から家事一切を任されるとき。その際に親戚縁者を招いて嫁のお披露目を兼ねた祝宴を開いていたといいます。
いずれにしても神様の前ではなく、人前式の結婚式だったようです。

今回なんだかお勉強みたいなブログになってしましました!


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