人類はメイクするサル・・・メイクの歴史見てみよう!

21:54:00

メイクと言えば女性というイメージですが・・
太古は男性もメイクしていたようです

説明を追加

ruffledblog.com

実はネアンデルタール人も化粧をしていたのではないか、言われています。
ネアンデルタール人は20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種であるとされています。

ところが化粧行為は化石にはのこっていません、ではなぜネアンデルタール人が化粧をしていたかもしれないと言われるのでしょうか。

イラク北部のシャニダール洞窟からネアンデルタール人の化石とともに数種類の花粉の化石が発見されました。

発見された花粉が現代当地において薬草として扱われていることから、「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があった」ことがわかっています。

集団で埋葬という儀式を行っており。つまり、死を悼むという感情がそこにはあり、人間を単なるものとしてではなく感情のある人として扱っていたことが伺えます。

そこで、すでに化粧をしていたのではという仮説があります。

それは最も古い洞窟壁画はショーヴェ洞窟の絵で、これは3万2千年前のものでネアンデルタール人がのこしたものとされいます。

ショーヴェ洞窟壁画 ja.wikipedia.org


ショーヴェ洞窟壁画からは現在判明しているだけで260点の動物画が見付かっており、その総数は300点を超えると見られています。

描かれている動物は、現在のヨーロッパでは絶滅した野生の牛、馬、サイ、ライオンなど13種類あり、その中にはフクロウやハイエナやヒョウなど、従来知られていた氷河時代の洞窟壁画には見られない 動物も含まれています。

このような顔料を使って芸術をのこすまでのことをするネアンデルタール人が死者に化粧をほどこすのは想像することはむずかすくはないと考えられてます。いまああくまでも仮説ですが・・

旧人であるネアンデルタール人は、我々現生人類であるホモ・サピエンス (Homo sapiens) の最も近い近縁種であり。

われわれの祖先であるホモサピエンスと混交したとされる説もあります、骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果に基づき、ネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類だといわれてましたが。

しかし2010年5月7日のサイエンス誌に、アフリカのネグロイド以外の現生人類には、絶滅したネアンデルタール人類の遺伝子が1-4%混入しているとの研究結果が発表されました。

これは、現生人類直系祖先であるホモ・サピエンスが出アフリカした直後の10-5万年前の中東地域でそこに既に居住していたネアンデルタール人類と接触し混血したのでは・・・

アフリカ大陸を離れなかった現生人類はネアンデルタール人類と接触しなかったことによる可能性が高いのではとの説です。

この研究結果が正しければ、出アフリカ後に中東を経てヨーロッパからアジアにまで拡がって行った現生人類は約3万年前に絶滅してしまったネアンデルタール人類の血をわずかながらも受け継いでいることになる。まだアカデミアでは正当とはされてませんが可能性はあるとのこと・・・

ようするにわたしたち人類の直系のホモサピエンスとは共存した可能性があります。ネアンデルタール人が絶滅した理由は実はわかっていません。

2005年にイベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から、ネアンデルタール人が使っていた特徴のある石器類や、洞窟内で火を利用していた痕跡が見つかりました。

放射性炭素による年代分析で2万8000-2万4000年前のものと推定されネアンデルタール人は、少なくとも地中海沿岸からイベリア半島においては、生き残っていたと考えられることが最新の学説。

この交差したネアンデルタール人の時代から化粧があったのではというびっくりするお話です。

交差したその後のイベリアの洞窟に牛やマンモスの絵を残した、ホモサピエンスの直系のクロマニヨン人もその赤や黒の塗料で自分の体にもペインティングしてたと考えられています。


日本人も古代人は、海に潜る漁師などは、裸で泳ぐので、体に刺青を施し、大きな魚の目をごまかしたりしました。

刺青は、ヨーロッパのケルト人もそうです。戦争になると、裸になって傷だらけの体を敵に見せて威嚇したそうです。

実は正確に化粧の歴史を見ようと思ったら、遺跡の壁画や像といったもので見るしかありません。
ですから古くはシュメール文明、エジプト文明、良く見るエジプトの女王像ですが、目の周りのアイシャドーなど明らかに化粧をしていることが分かります。

エジプトでは邪悪なものから目を守るために黒く囲ったといわれています。またあれは、虫除けとか、そういう実利的な意味もあったとかないとか。

それぞれの地域と文化、また時代によって「美」の基準は変わります。

古代中国であれば女性の肌の美しさについての記録が多く残っていますし、古代ローマでは男性が化粧をした記録ものこってます。

今から、二千年位前から、仏教やキリスト教などの、宗教が発達して、原始的なおまじないとか、ボディ・ペインティングが、悪いこととされるようになった後は、女性が、外出する時の身だしなみに変わりました。

日本の平安貴族は、男女とも、白粉を塗って眉を剃って描いてました。

あるいはフランスのロココ時代には、男性が熱心に競って化粧をしていたという記録があります。
男性もかつらをかぶり、また髪粉を髪にふりかけて色を付けたりしていました。



ja.wikipedia.org

モーツアルトやバッハなど、中学校の音楽室にあった写真やよくいたずら書きをした音楽の教科書を思い出していただくとわかると思うのですが非常に長いくるくるした髪をしています。

あれは皆さんかつらをかぶっていたのです。

そう実は 人間は化粧をするサルだったのです!



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