化粧するサル 日本編

17:26:00

日本のお化粧が独自なものになったのは
平安時代 どうやら香りで個性をアピールしてたらしい

国宝源氏物語絵巻東屋一

縄文・弥生・古墳時代
日本の縄文時代に作成された土偶の表面に見られる文様は、世界的に見ても古い時代の入れ墨を表現したものと考えられてます。

縄文人と文化的関係が深いとされる蝦夷やアイヌ民族の間に入れ墨文化が存在したため、これもしょうこではないかと言われています。

続く弥生時代にあたる3世紀の倭人(日本列島の住民)について記した『魏志倭人伝』中には、「男子皆黥面文身」との記述があり、黥面とは顔に入れ墨を施すことであり、文身とは身体に入れ墨を施すことであるため、これが現在確認されている日本の入れ墨の最古の記録です。

古墳時代になると塗る顔料の証拠資料として、3世紀後半頃の古墳時代の遺跡。
身分の高い豪族のお墓の副葬品である「埴輪(はにわ)」に、赤い顔料で顔や身体に化粧を施したものが残されているのです。


「巫女の埴輪」高崎市保渡田VII遺跡出土 赤い顔料で化粧をした埴輪


赤色のイメージとしては、照りつける太陽や血液・燃えさかる炎など熱や生命力を感じさせる色であり強いパワーを持っているとかんがえられたと想像できます。

赤い色は悪いものから身を守るという呪術的な意味があると推測され、それは血の色や太陽に通じているからだと考えられています。

現代の私たちの“おしゃれ感覚”のメークとは、全く異なるものでした。


飛鳥時代

それでは現代のような“おしゃれ”を意識したメークは、いつごろから始まったのでしょうか。
最も古く確認できるのは飛鳥時代、6世紀後半のこと。

仏教が伝来し、聖徳太子が誕生した頃になります。
大陸では隋が中国を統一し、日本からは遣隋使(けんずいし)が派遣されていました。

そんな中、大陸から紅や白粉(おしろい)、香といった化粧品が輸入され、日本におけるメークが始まったとみられています。

当時の白粉は鉛を酢で蒸して作られていたといいます。
この時期、日本でも初めて鉛を使った白粉(鉛白粉)が作られ、女帝である持統天皇が献上された鉛白粉を大変喜んだと『日本書紀』に記されています。

「鳥毛立女屏風」第四扇 正倉院蔵

宮廷の女官は顔に白粉を塗り、紅を使ったポイントメークをしていたと見られます。

正倉院に伝わる奈良時代中期、日本で描かれた「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」の女性像を見ると、宮廷女性のメークの片鱗を感じることができます。

この屏風には、唐風の女性が樹の下に立っている姿が描かれています。

女性は顔に白粉を塗り、太く眉を描き、紅を使ってふっくらとした唇を描いています。

額中央には“花鈿”(かでん)、口元には“よう鈿”(ようでん)と呼ばれる、カラフルな色で花や星を描く化粧が施されているのが特徴的です。

同じ絵柄が中国の敦煌(とんこう)の壁画にもあることからも唐のメーク法が日本にも伝わっていたことがわかります。

平安時代

時が移り平安時代、9世紀末に遣唐使が廃止されたことから、それまで唐の影響を強く受けていた日本文化に、変化のきざしが現れます。

紀貫之が『古今和歌集』を編纂し、また、『土佐日記』を記したりするなど、特権階級である貴族の宮廷生活において、日本独自の文化が育まれていくのです。

ファッションや髪型、メークといったよそおいも例外ではなく、華やかな唐風のものから、優美な日本独自のものへと変化していきます。

宮廷の女性が生活する大きな屋敷の中は、昼間も薄暗く、夜は月明かりとロウソクといった現代と比べるとほとんど真っ暗といってもいいほどの環境で生活をしていました。

さらに、外出するときには常に顔を覆い隠すなど、他人に顔を見せないことが好ましいとされていたのです。

このような環境と美意識が宮廷での特徴的なよそおいの文化を形作っていきました。

何枚もの美しい衣を重ねた十二単に長く伸ばした黒髪、これが宮廷女性にとってこの上ない「美」の象徴でした。

こうしたボリュームのあるよそおいに映えるのが顔を白く塗って強調するメークです。

顔には白粉、眉は生来の眉を抜いて額の上部に描き、唇はより小さく見えるように描きます。


                国宝源氏物語絵巻東屋一

平安時代を代表する文学作品『源氏物語』を絵巻にした『源氏物語絵巻』には、このような優美な女性像が描かれています。

化粧は年齢や身分をあらわす“約束事” おしゃれの楽しみは「香り」で

しかし、平安時代の宮廷のよそおいは、特定の環境や美意識だけから作られたのではありません。

例えば『源氏物語』の主人公、光源氏の娘となる若紫は、10歳で成人の証として眉化粧やお歯黒をしています。

当時は年齢や身分、階級による約束事として、よそおいや化粧法が決められており、現代のように自分らしさや個性を表現するおしゃれのあり方とは全く意識が異なるものだったのです。

現代とは異なり、ファッションや髪型、メークで個性を表現することができなかった当時の女性たちにとって、唯一自由に楽しめたおしゃれが「香り」です。

自分のお気に入りの香を焚き染めた衣や、香りのついた和歌(手紙)のやり取りを通してアピールすることが、もしかしたら彼女たちの大切な自己表現だったのかもしれません。

西洋の体臭をごまかす香りの使い方ではなく、日本では個性を表現するのに香りをつかう、
やはり日本人は繊細な感性を平安の時代から持っていたんですね・・・



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