あたりまえとおもってる 恋愛感まで輸入したの・・・
12:04:00
恋愛彼氏彼女の概念は
どうやら一神教が影響しているのでは
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結婚の歴史を調べてみると奥が深くておもしろいです
ブログでもふれましたが・・・狩猟・採集の時代はどうやら雑婚の時代
インスピレーションがあえば男と女だれもが契れるいわゆるフリーセックスの世の中
子供は部族の集団でみんなで育てた母系の家庭だったという説が主流です。
そして、弥生時代になって貧富の差ができ権力者は、明治30年までの長きにわたり一夫多妻の世の中がつづくわけです。
これは日本にかぎらず世界でもにたような傾向です。一部をのぞいてですが・・・
やはり猿から進化したと考えると・・・公園で見るサル山のボスざるがすべてのメスを所有するそれなのでしょうか・・・・DNAとか本能は本来そういうことなのでしょうか・・・
メスの方も本能としても優秀で強い遺伝子を望むわけですから・・・
そんななかでわれわれが自然だと思っている恋愛という認識について考えてみました
日本で彼氏彼女の恋愛そして結婚というながれはやはり、近年になって欧米から輸入されたらしいです・・
恋焦がれる歌は、平安時代からありましたが・・・嫉妬もあったでしょうか側室が当たり前の時代です・・
現代の恋愛感に近い恋愛をして結婚そして添い遂げるみたいな今の恋愛感のことです・・
今私たちがもっている恋愛感は割と新しく、のこっている書籍などしらべると、明治に西洋から輸入された、小説や詩を通じて庶民があこがれ、大正から昭和にかけて一般化したらしいということです。
それでは恋愛観念(恋愛至上主義)というのが成立したのは何故か?いつごろ、どこで、どんな時代背景で生まれたのでしょうか?
恋愛という観念は、西欧の中世12世紀には広まっていたようです。キリスト教が主流の中世12世紀ころ、愛を叫ぶ言葉が百花繚乱のようにあらわれたようです。
南フランスのラングドックやプロヴァンスの地において、女性を高貴な存在として崇め、彼女に熱烈なロマンティックな愛を捧げる・・・
愛の抒情詩というものが高らかに奏でられるようになります。女性を高く評価し、その成就が困難であればあるほど、愛の質が高められるという、新しい「宮廷風恋愛」が出現して来ます。
その源流をたどると、当時、南仏に近接するスペインまで進出していたイスラム圏かららしいことがわかります。
11世紀イスラムの最大の詩人であったイブン・ザイドゥーンはこの女性への愛の絶唱を数多く残していますが、そこには後の宮廷歌人に見られるのと同じロマンティック・ラブの感情がみなぎっているといわれています。
さらにさかのぼって、アラビア世界には古くから「愛のために死ぬのは甘美で高貴なことだ」とする愛の伝統がありました。
恋愛観念は、イスラムとキリスト教世界から発した。一神教世界のなかから出てきた点が興味深いことです。
思い込みによって、かけがえのない唯一の者を求めながら、決して成就しない、成就するのは死んでからという意識状況はキリスト教やイスラム教の一神教にそっくりです。
これは、一つの神に対する収束から、一人の女(男)にたいする至上主義へと意識が転換しやすいことと当時、キリスト教は政治と密接で、キリスト教会が強い権力を持っていました。
婚姻は男女が神と契約を結ぶものであり、その管理を教会の務めとし、婚姻に際しては教会で司祭の祝福を受けることが慣習化されていきました。
また教義の中で、一度結婚した相手とは死によって別離するまで終生共にし、貞操を守る義務(浮気禁止)を課しました。
結婚を秘跡のひとつとして定め、宗教的な儀礼として様式化しました。これらが恋愛感のベースになったのではないかとおもいます。
そう考えると日本では、近代に恋愛観念が輸入という形で入ってきて、明治のころまであった夜這いの文化などの村落共同体の解体・都市化と共に広まったのもなんとなくそうかな・・・なんって・・
今の恋愛感が輸入というのもなんだかなあとおもいますが・・みなさんは。どうおもいますか・・
かしこいWEDDING手帳
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